ダウン症の姉を観ていて思う親のあり方
突然ですが、私には6個上にダウン症の姉がいます。
小さい頃から、一緒にいて、私が小さい頃には助けてもらった記憶もあって
私からしたら普通のお姉ちゃん
でも、ある日、自分には出来て姉が出来ないことが起き始めた。
姉も愕然としたと思う、とても苦しかったと思う。
犬の散歩も行けず、家事もできず、包丁すら持たせてもらえない。
私の姉はいつしか作業所に行き、”仕事”を始めた。
その仕事場で、なにやらなにかがあったようで、鬱病のような状況になり、姉の精神状態は悪くなっていった
突然、喚き出し、泣き出したりした。
言葉もしゃべらなくなった。あんなに笑顔が素敵だったのに、笑顔も見れなくなった。
その日を境に母親は姉にベッタリになった。
その頃、私は大学生でろくに家に帰らずにその状況を軽く見ていた。
私は、大学院に進学し、学校から家まで200㎞行き来することになった。
しんどかったが、そこでは研究に没頭していた。
ただ一緒に暮らしていて分かったことは、母親は過保護すぎるということぐらいだ。
私も母親のもとで育ったのでわかるが、母親はなんでも先回りして”やっておいてくれる”のだ。
着替える洋服は、母親が決めたもの。
寒くなったら、母親好みの服がある。
暑くなったら、母親好みの服がある。
ご飯もある程度すこし手伝えば出てくる。
洗濯物も出せば、洗って干しておいて、たたんでおいてくれる。
お風呂も自然と入れる。
私は中学校まで母親にこのような行為をしてもらっていた。
頼んだ覚えはないが、母親はずっと”やっておいてくれた”のだ。
有難いことだ、感謝をしないといけない。
だが、私はこの”与えられるもの”が苦手だった。
それしか着なくちゃいけない、それしか着る選択肢がないと思っていたのだろう
他の子たちは可愛い服を着ているのに、「汚れる」から「寒い」からという理由で長袖長ズボン、20年前の服を着させられ、どう考えてもクラスの中で浮いていた
そんな昔の思い出も掘り起こされ、母親から見た姉はダウン症というだけで子ども扱いされ、30年間ずっと”大切に育ってきている”。
私は母親に何度も「構いすぎる」「すこしは姉のことも尊重するべき」と言ってきた。
なぜなら、姉はもう成人しているからだ。
成人していると、一般社会で犯罪を犯しても本人が罰せられる。
(最近は変わってきており、未成年であっても本人が罰せられることもある)
つまり、社会的に見たら成人を超えたら”立派な大人”なのである。
しかし母親は「私に口出ししてこないで」「どうせい一人じゃ生きていけない」と言ってきた。
しばらく実家を離れることになったが、また実家の近くに物件を借り、一人暮らしをすることになった。
なぜ実家の近くで一人暮らしをしているのかというと、「実家にいると疲れるから」である。
しかし私が離れている間に母親はさらに姉に”尽していた”。
久々に会うと母親は姉の朝ごはん作り(別メニュー)をし、姉のトイレについていき、姉の着替えをさせ(前は姉が自分でしていた)(姉はできないわけじゃない)自分は洗濯物を干しに行き、父親のベッドメイキングをしていた。
本当に忙しい母親だと思う。素晴らしい母親だと思う。
でも、私からしたらできないわけではない姉になんでそこまで執着するのかわからなかった。
それとなく「なんでお母さんって、姉ちゃんが着替えできるのに着替えさせてるの?」と聞いてみた。
返ってきた答えが「なんとなく」だった。
母親は姉に対して「なんとなく」接していたのだ。
色んな捉え方があるが、私には着替えを終え、なにもすることなくダラ~としているだけの姉に”可哀想”と思ってしまった。
母親が姉の着替えを手伝わなければ、姉には「着替える時間」という時間があったはずだ。
それが忽然となくなり、ダラけるしかなくなってしまった。
母親も「姉を着替えさせる時間」がなければ、時間に余裕が生まれるはずだ。
今回、一人暮らしの物件に戻ってきて、これを書いている。
姉は去り際に泣いていた。寂しいと泣いていた。
私はどうしようもない感情で、押しつぶされた。
玄関で座り込み、自分にできることはないか、考え込んだ。
考えていると、吐き気が込み上げてきた。考えすぎだ。
実家を出るときに、アドバイスとして母親に「お姉ちゃんにいくつかの依存先を見つけてあげて」と言ってきた。
そしていくつか候補を渡してきた。
私がもっと成長したら、姉は施設に行くことになると思う。
でもそれが姉にとって親と離れられる、自由になれる暮らしなら私はいいと思う。
正直、介護の世界もよい環境とは言えないところが多い。
働いてる人も大変だ。
なんとも言えない気持ちになる。
私が知識なく、ダウン症の子どもを身籠ったら、きっと母親のようになるだろう。
でも、ダウン症だとしても「人間」なのである、「人」なのである。
人は、どこか孤独で寂しい思いを抱えている。
だからこそ、自分のことは自分でやらないと、責任をもたないといけないと感じる。
自分という存在は、自分で守っていくしかないのだ。
だからぜひ親にはその辺を理解してもらいたいところだ。
健常者だろうと、障がい者だろうと、自分のことを守らなくてはならない。
いつか施設に入所したとき、働いている人が守ってくれるだろうか?
守ってもらえないだろう、利用者は利用者なのだ。
だからこそ、自分のことは守れるように少しでもいいから自立を促してほしい。