再発の恐怖におびえる日々

私は3年前に悪性腫瘍、ガンがみつかった。

年齢は23歳。肝臓にできた。

高校生ぐらいから、肝臓になにかがあるのは知っていた。

病院で診てもらったら「チマメ」みたいなものです、と言われたから放置した。

何気なしに、別の病院でみてもらって摘出することにした。

そしたら、悪性だった。

 

何気なしにうけた手術から、私はとても生きるのに恐怖を感じた。

すこしでも楽しく、自分の思い通りの人生を歩もう、そう思ったはずなのに。

手術から3年後の今、私はとても恐怖に駆られている。

健康的に生きねば、健康的でなくちゃいけない。

そう思いながら生活しているのだ。

 

ガンというのは、元々体の中でたくさん作られているらしい。

それを免疫細胞がやっつけて、どうにかしているらしい。(?)

 

つまり免疫を上げればいいのだ。

そう思いつつも、ここ4か月ほど。

誕生日を迎えてから、心がしんどくなってきている。

私はいつまでこうして生きていかなければならないのだろう、いつまでこの”恐怖”と戦っていきていけばいいのだろう。

そんなことを思ってしまう。

 

主治医の先生が異動になったようで、最後にこう言い残してきた。

「あなたの悪性腫瘍は、何年後、何十年後かに、ひょこッと出てくるから気を付けて。」

そうだね、そうなんだろうね。

でも、その言葉を聞いたとき、(私はあと何年生きていけるのだろう)ととても悲観的になった。

それから年を重ねる誕生日が、死へのカウンドダウンに思えてきた。

誕生日は家族から「おめでとう」と言われる。

有難いことだ。

だが、私からしたら一緒にいてくれてありがとう。

今年も生きて年を重ねられたよ、そう思ってしまう。

 

正直、しんどい。

なんで私が、小さい頃から口唇口蓋裂で苦しんできた私がなんでこんなことに

そう思わざるを得なかった。

 

私を不安にさせる要因はまだある。

今後、他にもなにか治らない病気がみつかるのではないか、という不安だ。

とても不安になってしまう。

一時は鬱病のような症状になってしまった。

 

家族に相談しようとも、母親に打ち明けると「お母さんもつらかった」と泣かれてしまう。

父親は堅物だし、すぐ逃げる能力が高いので逃げる。

姉は、鼻で笑うだけ。

友達に相談しようとも、友達も困惑すると思う。

だから、誰にも相談できない。

 

毎日恐怖でおびえる日々。

こんなことをしているといつか再発する。

もっと人生楽しまないと、そう思いながらもなにも楽しめなくて堕落してしまう。

 

日本できっとおそらく何万人という人が「ガン」になって「再発の恐怖」におびえているのだろう、と思ってしまう。

再発の恐怖におびえる自分と戦いながら生きていくのしかないのだろうか。

いつか、この”恐怖”を共有できる人が現れるのだろうか。

そんなことを思いながら日々を過ごしている。

相談したいことがあるのって言われると困っちゃうよね

ひさびさに実家に帰ると、父親が優しくなっていた。

そんなこともあるんだなあ、と思いながらも、楽しく食事をしていた。

 

ずいぶんと落ち込んでいた時期から考えると改善されている日常。

私はやっぱり、「忙しい日常」じゃないといけない人間なんだと思った。

ひまだと些細なことも気づいてしまうからだ。

静の世界にはどうも住めない。

動の世界じゃないと。

 

どうやら最近になって、「風の時代」になったようだ。

少しでも環境に変化があると、(まあ、風の時代だから)と諦めがつくのは非常に楽な気がする。

周りでも変化があって、変化がついていけない人にも「風の時代だから」というと、え?なにそれ?と話題を変えることができる。

 

このトークテクニックには弱点がある。

それは、「風の時代のことについて知っておかないといけない」ということだ。

なので、ぜひ知らないという人や、ちょっとしかわからないという人は調べてみてほしい。

 

友達や家族の相談事で、(めんどくさいな)と思ったときは、話を変えたり、環境を変えると、長々と相談事を聞かなくて済むトークテクニックがあるのはご存じだろうか?

 

私は基本的に「ちょっと相談したいことがあるんだけど」と言われると、「じゃあ、占い行く?私よりも相談のってくれるし、すっきりするよ」といって占いに行く。

もし占いを断られたら、その日は会えないという。

なぜなら、こういう友達は”低価格の相談相手”を探しているからだ。

相談相手ならだれでもいい、自分のうっぷん晴らしができれば誰でもいい。

だから、占いなんかにお金を払いたくない、という人たちが多い。

もちろん、占いは信じないとか、占いって胡散臭い、怖い、と思っている人もいる。

しかしその場合はまた違ったいい口であったりするので、なんとなく察することが大切である。

 

しかし、”優しい人間”はそれでも断りにくい。

私も優しい人間であるので、その苦労はとても理解している。

優しいと本当に色々な人から”捌け口”にされる。

やめてほしい、私は暇ではないのだから。

そう思うようにして、勇気を出して断ろう。

意外と、相手は自分のことしか考えていないことが多い。

 

占いがどれだけ友達の相談相手としてよいのかという話をしよう。

占いというのは20分2000円という短期間で相談できる、しかもそのあとスッキリする、素晴らしいものなのだ。

もし、友人の相談を聞いていたとしよう、こちらの結論を言ったところで不審がられたりしないだろうか。私は不審がられた。なぜなのか。

※ヒント※

はっきり物事を言いすぎた。

そう、もし友人に相談事を聞いていると2時間、3時間と時間がとられてしまう。

相談事を聞くのが好きな人ならいいが、私は他人のことを気にしすぎるので、出来れば相談しないでほしい。

相談されると大体、2~3週間は思い悩んでしまう。

ちゃんと的確なことは言えたのか、など考えてしまう。

 

そんなことを考えるのであれば、有料の的確な相談できる相手に相談したほうがいいのではないか、そう思ってしまう。

なので、占いは、とても良いものなのだ。

しかも相手は何千人と人生相談その他もろもろを受けてきた方々ばかり。

聞き手のプロです。

そんな方々のサービスを受けられるのだから、最高じゃありませんか?

私はそう思います。

休日なにする?

休みの日、起きて最初に「今日は、なにがしたい?」と自分に聞くようにしている。

体調がよろしい時は、3つぐらい出てくる。

体調がよろしくない時は、「・・・」が自分からの答えなのである。

 

それでも起きて、歯磨きをしながら空を見ると曇り空だった。

最近曇り空が多い。そうだ、この気分がのらないのは、気圧のせいだ。

気圧のせいだよ、わかったら返事をしなさい!

 

そんなことを思いながら歯磨きを終え、キッチンへ。

コップ1杯の水を飲んで、スタート。

朝ごはんの準備に取り掛かる。

鍋に水を入れて火を入れる。あらかじめ切っておいた野菜を鍋に投入。

あらかじめ切られていなかった野菜も切って、鍋へ投入。

その間に冷蔵庫にあった納豆とキムチを小鉢にのせておく。

ヨーグルトも適度な容器に入れる。

そして野菜がたくさん入った鍋に味噌を投入。

野菜たっぷり具たくさん味噌汁の出来上がりだ。

 

時間はもう昼過ぎ。

なぜかって?始まったのが11時からだからだよ。

起きたのが11時だったんだよ

 

 

朝ごはんをしっかり摂るようになってから体調も良くなってきた。

徐々にではあるが、劇的な変化だ(どっち?)

風邪をひかなくなった。

すごいことだと思わないかい?

私はすごいことだと思う。

 

そんな私の1日の始め方。

夜まであと12時間。

このあとどうやって眠くなるように身体を動かそう。

外は雨だし、動きたくないなあ。

 

そんなことを考えていたらあっという間に寝る時間。

本当に時間がたつのが早い。

 

1日1日大切に

と思っていたけれども、

1時間1時間大切に

に変わってきている。

 

1時間をどうすごすか。

夜の睡眠にどうやって気持ちよく入眠させるか

そればっかり考えてしまう

ダウン症の姉を観ていて思う親のあり方

 

突然ですが、私には6個上にダウン症の姉がいます。

小さい頃から、一緒にいて、私が小さい頃には助けてもらった記憶もあって

からしたら普通のお姉ちゃん

 

でも、ある日、自分には出来て姉が出来ないことが起き始めた。

姉も愕然としたと思う、とても苦しかったと思う。

 

犬の散歩も行けず、家事もできず、包丁すら持たせてもらえない。

 

私の姉はいつしか作業所に行き、”仕事”を始めた。

その仕事場で、なにやらなにかがあったようで、鬱病のような状況になり、姉の精神状態は悪くなっていった

突然、喚き出し、泣き出したりした。

言葉もしゃべらなくなった。あんなに笑顔が素敵だったのに、笑顔も見れなくなった。

 

その日を境に母親は姉にベッタリになった。

その頃、私は大学生でろくに家に帰らずにその状況を軽く見ていた。

 

 

私は、大学院に進学し、学校から家まで200㎞行き来することになった。

しんどかったが、そこでは研究に没頭していた。

ただ一緒に暮らしていて分かったことは、母親は過保護すぎるということぐらいだ。

 

私も母親のもとで育ったのでわかるが、母親はなんでも先回りして”やっておいてくれる”のだ。

着替える洋服は、母親が決めたもの。

寒くなったら、母親好みの服がある。

暑くなったら、母親好みの服がある。

ご飯もある程度すこし手伝えば出てくる。

洗濯物も出せば、洗って干しておいて、たたんでおいてくれる。

お風呂も自然と入れる。

 

私は中学校まで母親にこのような行為をしてもらっていた。

頼んだ覚えはないが、母親はずっと”やっておいてくれた”のだ。

有難いことだ、感謝をしないといけない。

だが、私はこの”与えられるもの”が苦手だった。

それしか着なくちゃいけない、それしか着る選択肢がないと思っていたのだろう

他の子たちは可愛い服を着ているのに、「汚れる」から「寒い」からという理由で長袖長ズボン、20年前の服を着させられ、どう考えてもクラスの中で浮いていた

 

そんな昔の思い出も掘り起こされ、母親から見た姉はダウン症というだけで子ども扱いされ、30年間ずっと”大切に育ってきている”。

私は母親に何度も「構いすぎる」「すこしは姉のことも尊重するべき」と言ってきた。

なぜなら、姉はもう成人しているからだ。

成人していると、一般社会で犯罪を犯しても本人が罰せられる。

(最近は変わってきており、未成年であっても本人が罰せられることもある)

つまり、社会的に見たら成人を超えたら”立派な大人”なのである。

 

しかし母親は「私に口出ししてこないで」「どうせい一人じゃ生きていけない」と言ってきた。

 

 

 

しばらく実家を離れることになったが、また実家の近くに物件を借り、一人暮らしをすることになった。

なぜ実家の近くで一人暮らしをしているのかというと、「実家にいると疲れるから」である。

 

しかし私が離れている間に母親はさらに姉に”尽していた”。

久々に会うと母親は姉の朝ごはん作り(別メニュー)をし、姉のトイレについていき、姉の着替えをさせ(前は姉が自分でしていた)(姉はできないわけじゃない)自分は洗濯物を干しに行き、父親のベッドメイキングをしていた。

本当に忙しい母親だと思う。素晴らしい母親だと思う。

でも、私からしたらできないわけではない姉になんでそこまで執着するのかわからなかった。

それとなく「なんでお母さんって、姉ちゃんが着替えできるのに着替えさせてるの?」と聞いてみた。

返ってきた答えが「なんとなく」だった。

母親は姉に対して「なんとなく」接していたのだ。

色んな捉え方があるが、私には着替えを終え、なにもすることなくダラ~としているだけの姉に”可哀想”と思ってしまった。

母親が姉の着替えを手伝わなければ、姉には「着替える時間」という時間があったはずだ。

それが忽然となくなり、ダラけるしかなくなってしまった。

母親も「姉を着替えさせる時間」がなければ、時間に余裕が生まれるはずだ。

 

 

 

今回、一人暮らしの物件に戻ってきて、これを書いている。

姉は去り際に泣いていた。寂しいと泣いていた。

私はどうしようもない感情で、押しつぶされた。

玄関で座り込み、自分にできることはないか、考え込んだ。

考えていると、吐き気が込み上げてきた。考えすぎだ。

 

実家を出るときに、アドバイスとして母親に「お姉ちゃんにいくつかの依存先を見つけてあげて」と言ってきた。

そしていくつか候補を渡してきた。

私がもっと成長したら、姉は施設に行くことになると思う。

でもそれが姉にとって親と離れられる、自由になれる暮らしなら私はいいと思う。

正直、介護の世界もよい環境とは言えないところが多い。

働いてる人も大変だ。

なんとも言えない気持ちになる。

 

私が知識なく、ダウン症の子どもを身籠ったら、きっと母親のようになるだろう。

でも、ダウン症だとしても「人間」なのである、「人」なのである。

人は、どこか孤独で寂しい思いを抱えている。

だからこそ、自分のことは自分でやらないと、責任をもたないといけないと感じる。

自分という存在は、自分で守っていくしかないのだ。

だからぜひ親にはその辺を理解してもらいたいところだ。

健常者だろうと、障がい者だろうと、自分のことを守らなくてはならない。

いつか施設に入所したとき、働いている人が守ってくれるだろうか?

守ってもらえないだろう、利用者は利用者なのだ。

だからこそ、自分のことは守れるように少しでもいいから自立を促してほしい。

占いをもっと身近に感じられたらいいな

こんばんは、はじめまして。

 

はじめてブログを書く「いもたぷすと」と言います。

よろしくお願いします。

 

なぜ、今回ブログをはじめようかと思ったのか。

それは「占い」に行ったのがきっかけです。

※けっしてスピリチュアルブログではありません※

 

占いと聞くと、怪しいな、と思う人、いると思います。

私もその一人でした。

 

へんな壺売られるんじゃないか、とか。

厳しいこと言われるんじゃないか、とか。

洗脳されたらどうしよう、とか。

 

しかし、一度扉をあけると、悩みを打ち明けられる場所でした。

普段暮らしていると愚痴って出てくるものです。

でも恐ろしいことに、愚痴ると、相手に不快な思いや、変な誤解を与えてしまったり、孤立してしまったります。

私も大学の時は、酒のつまみに愚痴を言う。

口を開けば愚痴。むしろ愚痴しか面白くない。

と思っていた最低最悪人間でした。

 

そんな生活を続けていたら、友達がいなくなりました。

気が付いたら周りに友達がいなくなってました。

みんな忍者かな?

昔の私(大学のころの私)はそう思ってました。

 

大学卒業間近の頃、なぜか愚痴っていた気にくわない子と一緒に酒を飲むことに。

日本酒が飲める女の子は数が少ないので貴重なんです。

その子と飲んでると、突然その子が「いもたぷすとちゃんが私の悪口ってるの知ってたんだ」と言ってきました。

その瞬間、血の気が引きました。

さっきまでアルコールで火照った程よい心地よさはどこへやら。

その子が目の前でそういった瞬間、冷や汗が止まらず、土下座しました。

申し訳なかったと、ごめんなさい、と。

謝っても許してもらえず、ボロボロ泣いていると頼んでいたお刺身が来たのを非常に覚えています。

 

そんなこともあり、私は悪口や愚痴を言わなくなりました。

正式には、気にくわないことがあるなら本人に言う、それでも改善しなかったら、その人から離れる。

こうするようになりました。

(よくある話です)

 

ですが、これがまさかの効果てきめん!

非常に生きやすいです。

生きててよかった。

 

※一説によると、”愚痴”をいうことで、相手を寄せ付けない
愚痴っている対象に近い存在を寄せ付けない効果があるので
一概に”愚痴ることが悪い”わけではないです※

何事も適切につかいましょう(?)

 

 

話を戻しましょう。

占いの話です。

そんな日々を暮らしていても、根っからの愚痴人間なので、愚痴とかあるんですよ。

どうしようもない、この”愚痴”というものが出てくるんですよ…

どこからでてくるんだぃ?愚痴さんよぉ?

 

そんなとき!占いです!

人生に迷ったり、つらかったり、人には言えない悩みだったり、気軽に「○○(地方名) 占い」で検索かけて良そうなところに行ってみてください。

相談に乗ってくれるし、ちゃんと占い方法であなたにぴったりのアドバイスをくれますよ。多分。おおよそ、おそらく。

 

先日、占いに行ったら「あなたって、愚痴とか相談とか他人には言えないと思ってるでしょ?」と言われてしまいました~!

そうですね、だって私の苦労を話しても完璧に理解してくれる人っていないんですもの…そんなことを思いました。

そんな私でも占い師さんの前だと、なぜかボロボロ出てくるわ出てくるわ苦労話が…家族よりもベラベラしゃべってるんじゃないかな?

っていうぐらいしゃべっちゃいます。

しかも占い師さんからもらったアドバイスが、まあ的確。素晴らしいです。

 

そんなわけで、今回は私みたいに『他人には相談できないけど心のもやもやをどうにかして~!』という方はぜひ占いに行ってみてください!というお話でした

今日もハピネスな日を送れますように、さようなら!